私が特撮業界でお仕事をするようになったワケ【その1 始まり編】
アナリティクスを見たら私のブログが「特撮 仕事」で検索されているのを知りました。
世の中には特撮業界で仕事をしたいと思っている人が多いのですね。
それなら、参考になるかどうかわかりませんが
私が特撮のお仕事をするようになったいきさつを書いたらどうだろう?
と思いまして。
何回かに分けて書きたいと思います。
まずは【始まり編】として、私がどんな風に特撮好きになったかをお話しします。
かったるい〜! という方は先へ進んでください。
すべては兄の影響
子供時代のことから書くと大体歳がバレてしまうのですが、まぁ仕方ないでしょう。
気づかなかったフリをしてください。
私には大変特撮好きな4年違いの兄がいます。
たいていテレビのチャンネル選択権は兄にあったので、
自然に物心ついたときから一緒に特撮ばかり観ていました。
『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などはリアルタイムで、
『ウルトラQ』はリアルタイムか再放送でしょう。
アニメもそれなりに観ていましたが、映画といえば「東宝チャンピオンまつり」でゴジラばかり。
「東映まんがまつり」には行ったことがありません。
小学校に上がるとなぜかキングギドラがソラで描けるようになっていて、
学校でよく描いていた覚えがあります。
かなりマニアな小学生(兄)
母が言うには、兄は2歳の頃にはすでに漢字が読めていたとのこと。
それで漢字に興味があったのか、特撮を観てもクレジットに出てくる
スタッフの名前をよく覚えていました。
私にも「あの番組とこの番組に出ている人が同じだ」とか吹き込んできたので、
ヒーローに夢を見るどころか、キャスト、スタッフに詳しくなる一方の小学生女児…。
兄がどれくらい特撮が好きだったかと言うと、
私が小1・小2のとき、つまり兄が小5・小6のときの夏休みに
2年続けて兄のクラスが主催になって体育館で「怪獣大会」というイベントをやったほどです。
着ぐるみや小道具作り、出演・演出まですべて自分たちでおこなった怪獣ショーです。
兄は自宅でゴジラの面を作っていました。
オリジナルの怪獣も作ったり、バク転のできる子は仮面ライダーになったり、
ピアノ線でウルトラマン飛行体のプラモデルを吊り、飛ばしたりしていました。
この頃から兄は将来特撮の仕事に就きたいと思っていたらしく、
特撮の造型や撮影方法の勉強をしていたのです。
お手本にしていたのは円谷一さんが出版した「特撮のタネ本」という
特撮の撮影方法を解説した本。
自宅の本棚にあったので、当然私も幾度となくその本を読みました。
「怪獣大会」は大変好評を博しましたが、兄たちの卒業とともに幕を閉じました。
レア過ぎる逸話
その頃『スペクトルマン』という番組がありまして、
正しくは『宇宙猿人ゴリ』→『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』というタイトルを経て
3回目でようやくヒーローの名前がタイトルになった番組なのですが、
それが『8時だヨ!全員集合』のように毎週関東近県の市民会館などを
番組スタッフ、出演者が巡ってイベントをおこなっていたのです。
今では考えられないですね。
あるとき私の家から歩いて行ける八王子市民会館にも「スペクトルマンショー」がやってきました。
私も兄に連れられて観に行くことに。
撮影で使った実物大スペクトルマンの足とか飾ってありましたね。
主人公の蒲生譲二はいませんでしたが、怪獣Gメンのレギュラーの方は何人かいらっしゃいました。
そして、スペクトルマンを演じられた上西弘次さんも…。
頭から下はスペクトルマンで顔を出してサインブースに座られていました。
いや、ありえない。今では絶対NGでしょ(笑)
ま、とりあえずサインをいただこうとなりまして、上西さんの前に並びました。
順番が来たとき、兄が信じられない発言をしたのです。
「ウルトラセブンの人ですよね?」
おい、ちょっと待て。
いくら顔出ししててもこの人はスペクトルマンだ。
その人に何を言っているのだオマエは。
ていうかそもそも当時の小学生でスペクトルマンとウルトラセブンの中の人が一緒だなんて
知っている人が他にいただろうか?
そんな私も兄のおかげで知っていたけどさ。
瞬間的にテンパった私はどうしていいかわからず、
なぜか「ウルトラセブンの話をしなければいけない」と思い込んでしまったのです。
そして出てきた言葉が
「恐竜戦車に腕をひかれたとき、痛かったですか?」
…何を言っているんだ私は。なんで恐竜戦車なんだ。
どこにこんな話をする小学生女児がいるというのだ。
「痛かったですよ」
上西さんは空気読めみたいなことも言わずにご丁寧に相手してくださりました。
「戦車の上に恐竜が乗ってるでしょ、だから余計に重さがかかって痛かったですよ」
ああ、首から下スペクトルマンの人がウルトラセブンの質問に答えてくれている…!
さぞかし珍しい小学生兄妹だと思われたでしょうね。
それもこれも、兄の英才教育?の賜物です。
特撮から離れた時期
『仮面ライダー』も始まり、特撮ブーム到来。
毎日数本ずつ特撮ヒーロー番組が放映されていました。
そんな中、等身大の『キカイダー』や『イナズマン』にはあまり興味を惹かれなくなりました。
もともとウルトラマンやゴジラで育ったので、巨大ヒーローの方が好きだったのです。
怪人ものはちょっとくだらない気がして、あれはもっと小さい子が見る番組だと思い始めたのが
小学3年生くらいからだったかと。
それから再び特撮を本格的に観るようになるまで10年くらいブランクが空きました。
その間も巨大ヒーローものとかは観ていたんですけどね。
『メガロマン』とか。
だから私、『秘密戦隊ゴレンジャー』をまったく観たことがなかったのです。
それどころか、そういう番組があったことも知りませんでした。
2年も放映されていたのに。
大学(女子大)に入ったらフツーの女子大生がみんなゴレンジャー知ってて驚きました。
『バトルフィーバーJ』はゴレンジャーファンだった友人たちに勧められて観ましたけど
そもそもゴレンジャーの素養がなかったのでよくわかりませんでした。
でも大学生になった兄がバイトでバトルフィーバーJショーで
バトルコサックの中に入るようになったという思い出はありましたが(笑)
その後『電子戦隊デンジマン』『太陽戦隊サンバルカン』もほどほどに観ました。
ヘドリアン女王を演じた曽我町子さんが高校(都立南多摩高等学校)の先輩だったんですよ。
『大戦隊ゴーグルファイブ』は数回しか観なかったような。
再び特撮ファンに
私が入学した私立実践女子大学は当時東京都日野市にありました。
日野市と言えば新選組発祥の地。
マジで全国から新選組ファンが集まってきていました。
漫研の中にも当然新選組ファンが多くて。
私もなんとなく新選組ファンに洗脳されていきました(笑)
そんなとき先輩に勧められた番組が『科学戦隊ダイナマン』。
は? と思われるかもしれませんが、夢野総司令を演じた島田順司さんは
昔、沖田総司役者として有名だった方。
そういう人が出てるんだよ、と女子大の先輩に教わったわけです。
まあ戦隊シリーズはなんとなく観ていたので、ダイナマンに染まるのも早かったです。
と同時に、同じ年に放映されていた『宇宙刑事シャリバン』こちらにハマりましたねー。
ギャバンは観ていなかったので、今どきのヒーローってこんなスーツなのか!
と驚いたと共に、ストーリーにも惹かれていき、再び特撮の魅力に取り憑かれました。
更に翌年。
終業式の日に“乙女坂”を歩いていたら一緒にいた漫研の友人が
「あっ! 今すれ違った人! うちのクラスの人! テレビに出てる!」
と言いだして、土曜日の、夕方の、えーとなんだっけ〜と言うので
まさか『超電子バイオマン』じゃないよね…と思ったら
「そう、それ!」
なんとピンクファイブを演じた牧野美千子さんは同じ大学の人だったのです!
ミス実践女子大コンテストに出場したのがきっかけでスカウトされたのだとか。
ほぇ〜、今すれ違ったのか。
世間は狭いな。
その年はうちの大学で一大「バイオマンブーム」が起きまして。
学祭のパンフレット挿絵を任された漫研の面々は当たり前のようにバイオマンネタを描きーの。
「許せないわ!」とかいう桂木ひかるのセリフが流行りましたね〜(笑)
牧野さんは撮影のため大学を休学されたので、その後すれ違うこともありませんでした。
そして、運命は私を特撮業界に導き始めるのです…。(つづく)
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