私が特撮業界でお仕事をするようになったワケ【その4 継続編】

2018年8月12日

連載開始

B-CLUBで連載してほしいと言われたけど、では実際何をするのか。
そこを一緒に考えてくださったのが担当になった木川明彦さん(後日注:ご本人の許可を得たのでお名前公表)でした。

私が大学で被服学科を出ているということに目をつけ、

「だったら特撮ヒロインの衣装について描けないですか」

と、連載の方向性をすぐに決めてくださいました。
自分でもなるほどー! な発想でした。

ファッション史面からも流行面からも捉えることができる。
私の専門は被服材料学でしたが、基礎科目でファッション史は習っていたので
大学で学んだことが生かせるときた。

これは、私にしかできないかもしれない。

でも同時に、
描いていくうちに似たような記事を描く人はたくさん出てくるんだろうな、と思いました。
確かに同人誌では真似をされることも多かったですが、商業誌となると
今に到るまで似たようなことをする人はひとりもいず。
私が第一人者のようになっています。

連載タイトルは「空想流行通信」、略称は「空通(そらつう)」に決定。

メイちゃんヘアコレ
正式連載前にお試しで描いた原稿

仕事が舞い込む

B-CLUBに連載を始めてからは、他誌からの仕事も舞い込むようになりました。
こちらから営業しなくても、「描いてください」という依頼が増えるようになったのです。
今で言えば「ブランディング」が成功していたのでしょうね。

また、宇宙船にも連載していましたが、そちらでは取材に同行させてくれることも多く、
撮影現場への取材や役者さんへのインタビューもたくさん経験させていただきました。
そこでうかがった話が更に「空想流行通信」に役立つこともしばしば。

東映の田﨑竜太監督とも顔見知りになり、飲み会に誘っていただいたこともありました。
そうして業界に知人も増え、充実した時間を送っていたのです。

単行本出版

「空想流行通信」は連載中と終了後の2回、単行本を出版しました。

空想流行通信
完全版を出す際、最初の本に直接赤を入れました

まさか自分が本を出すようになるなんて思ってもみなかったです。
この本を出しておいたことは私にとってのちのちも大いに役立つことになります。

このとき、兄は私の本を10冊くらい購入し、
勤め先の某大手広告代理店で「社内プレゼント」として配ってくれたそうです。
これだけ読むとすごく仲のいい兄妹に思えるかもしれませんが、
普段はほとんど口を聞くこともないくらい私には無関心な兄でして…。
なのにそうしてくれたのは、兄にとってもすごくうれしいことだったようです。

のちに兄嫁から聞いた話では、兄は

「俺の夢は妹が叶えてくれた」

と言っていたとか。
えー、そうなの? だったら直接言ってよ〜!
うれしいじゃねーかこのヤロー(笑)

兄もね、1度だけ円谷プロと一緒にお仕事したことがあったのです。
そのときは有頂天になっていて、ご機嫌で酔っ払って帰宅しては
「俺は〇〇〇(会社名)を辞めたら円谷プロに入るんだ〜!」
なんて叫んでいたこともありました。

ああ、やっぱり、小さい頃からの夢というのは大きいですねぇ。

ところが頓挫

しかし転機は来ました。
バンダイ出版部がなくなり、B-CLUBが存続できないことに。

連載から6年ほどして、やむなく廃刊…。

私自身もまたまた体調を壊し、他誌の連載もちょっと続けられない状態に。

あー、もうこれで終了かなーと思いつつも、
特撮はやっぱり好きなので見続けました。
スカパーの契約も断たず、観てなかった番組は録画しまくり。

特撮業界から遠ざかっている間に、私は自分の意志で東京から長野に移住しました。
もう特撮の仕事ができなくてもかまわない、と思いつつ。

ところが。
長野県に来ても「連載見ていました」とか
改めてAmazonで中古本を買い求めてくださる方が多数いまして。
ありがたいものですね。

そして昔からの付き合いである名古屋の中京テレビの喜井竜児さんから、
『セーラーファイト!』の新作を作るからまた出演してもらえないかと
再び依頼をいただけたりしました。

セーラーファイト!撮影中
マホ参謀の撮影中

そして復活

その撮影現場に取材に来ていた『特撮ゼロ』の編集者さんから

「よければうちの本で描いてもらえませんか」

とお誘いいただきまして。
そうして「帰ってきた(かもしれない!?)空想流行通信」を復帰連載することができたのです。

帰ってきた空想流行通信

仕事から離れている間も特撮番組を観て、録画しておいたのが役に立ったよ〜!
新しく発刊された雑誌で連載するという発想はなかったので、
このような機会が再びあるとは思っていませんでした。

これも、周りの人たちのおかげですね。

で、やっぱり私は特撮関係から離れちゃいけないのかなと思いました。

まとめな感じ

私は絵も文章も特別うまいとは思っていません。
これと言ったとりえがないです。
それでも長年特撮関係でお仕事ができたのは、
ファッション面から語るという特別な切り口を持っていたからかもしれません。

特撮が好きだからと言っても、特撮しか知らないとか特撮しか詳しくないとかいうわけではなく、
他のジャンルにもたくさん興味を持つことが大事だと思います。
そしてそれは特に秀でてなくてもいい。
特撮と合わせて、オリジナリティが出せればベストです。

私の場合記憶力が非常に悪くて、テレビを見てもたいていストーリーは頭に入ってきません(笑)
もしくはそのときにはわかってもすぐ忘れてしまうので、
評論的なことをせよと言われたら非常にキビシイです。

でも視覚的な記憶は割とある方なので、衣装を見ただけで
あ、これはあの番組で誰それが着ていたものだというのはすぐにわかりました。
だから空通のようなことはできたんですね。

それと人のつながり、私を活かしてくれる人たちに恵まれました。
その人たちの期待を裏切らないようにすること、
当たり前だけど、どんな仕事も結局は人同士のつながりだから、
信頼される関係を作るよう努力することは大事です。

これからもゆるく、適度な距離で特撮と関わっていきたいと思います。(おしまい)

ジュウオウニャンコ
ボクもいつかジュウオウジャーになれるかにょ〜