私が特撮業界でお仕事をするようになったワケ【その2 出逢い編】
バイトで出逢ったあの会社
大学に入ってから私は持病の喘息が悪化してしまい、休むことが増えました。
特に試験の時期に休んでしまうと再試を受けて満点を取っても成績は振るいません。
そんなわけで悩んだ末に1年間大学を休学することにしました。
休学からしばらくしてやや落ち着いてきた頃、ちょっとはバイトでもしようかと
初めてバイト情報誌を買ってきました。
端から見ていたら…あれ、この会社って。
まさか、まさか??
持っていた「ファンタスティックコレクション 宇宙刑事シャリバン」の裏表紙を確認。
これじゃん!
「レインボー造型企画」
「怪獣のぬいぐるみを作る仕事です」って書いてあったかと。
それまでバイトって人伝に近所のお総菜屋さんでちょちょっとしたことしかなかったので
初めてまともにやってみようと思った途端にこれですよ!
これは逃すわけに行かないでしょう!
すぐ電話して、面接の約束をしました。
面接では手先が器用なことをアピールして、
実はピンクファイブが大学の同級生だという話もしたような。
「明日から来れる?」とすぐ採用でした!
あとで聞いた話では、あまりにもレインボーで働きたいために
自作の怪獣やら造形物やらを持参してくる人が多く、
むしろそういう人はお断りしているとのことでした。
私はフツーに見えたのかな〜。
全然フツーじゃないんだけどな〜(笑)
作らせていただいたもの
レインボー造型でのお仕事は主にアトラクション用のヒーロースーツに使う小物の制作。
『電撃戦隊チェンジマン』が始まった頃だったので、チェンジマンの両手に入ってる
CMマークをひたすら型紙からボールペンでレザーに写し、カッターで切り取ったりしていました。
えー、こういうのって手作業なの〜!?
もっと機械的に作ってるのかと思った…。
「10チーム追加ねー」とか言われると、1チーム5人、両手なので10枚×10チーム=100枚追加!
楽な仕事じゃありません…。
極たまーに、テレビ用のお仕事もさせてもらえました。
急ぎだったり手が足りなくなったりしたときね。
女王アハメスが初登場する回で宇宙獣士ギルバに操られたヒドラー兵の
手についてしまう牙つきボールのシワ出しとか…
これは10個くらいあったうちのほとんどを私が作ったので
多分この写真も私が作ったものだと思います。
発泡スチロールのボールにジャージを伸ばしながら貼ったのですが、
当時レインボー造型にいた品田冬樹さんに
「けっこういいシワ作るね」
とほめられました(笑)
それから宇宙獣士ボルタのイヤリング。
三角のイヤリング、左右とも私が作りました。
一番うれしかったのはこれ。
「さやかに賭けろ!」でチェンジドラゴンがつけている反重力ベルト。
これを作った日は急きょ5人分作らないといけないとのことで、
アトラク部屋の私たちも駆り出されました。
もうベースは他の方が作っていて、私たちがやったのは銀色に塗ったプラモデルのパーツを
機械のように貼り付けていく作業。
いわゆる「メカ部品」です。
私は「これやって」と渡されて作りましたが、
のちに放映を観たらチェンジドラゴンがつけているベルトだけがアップで映り、
自分が作ったものだとわかりました!
そう言えば、ベルトに「1」って書いてあったなと…。
たまたまかもしれませんが、他のは遠目にしか映らなかったので
私が作ったのだけアップで映されてうれしかったです〜。
メタルヒーローは『巨獣特捜ジャスピオン』の放映中で、ジャスピオンに出てくる
巨獣のパーツのお手伝いもさせてもらいました。
予感のようなもの
私は欲目に「こうなりたいな〜」とか思うことはほぼ実現しないのですが、
ふと降ってきたように
「こんなことできたらいいな」
と思うときはそれが実現するんです。
レインボー造型のバイトを見つける少し前にも
「こういう造形物を作る仕事とか楽しそうだな」
と思ったことがありました。
ですから、叶ったわけです。
レインボー造型では3ヶ月ほど働かせていただきました。
とても楽しく、いい経験になりました。
イラストレーターになる
その後大学に復学、卒業して、機械のソフトウェアを作っている会社に就職しましたが、
これまた間もなく体調を崩してしまい1年半ほどで休職することに。
ちなみに特撮の仕事がしたかった兄は、某大手広告代理店に就職しました。
現実を取ったんですね。
在職中、全員が上司からの面接を受ける機会がありました。
「将来どのようになりたいか」と聞かれ、私は遠慮なく
「絵を描いてお金が稼げるようになりたい」
と言いました。
特に叱られもしませんでしたが、まあ失礼ですよね。
この会社に残る気がないと臆さず言ったのですから。
ところが休職して間もなく、それが叶ったんです。
これは降ってきたわけではなく、幼い頃から思っていたことだったのですが。
大学時代の先輩が朝日ソノラマに編集者として勤めていたので、
今こういう事情で家にいるので、もしイラストの仕事とかあったらくださいと連絡しました。
すると、先輩が手がけている「月刊ハロウィン」という漫画雑誌の読者コーナーのイラストを
描かないか、と声をかけていただけたのです。
最初は前任者が産休を取るために半年くらいだけと言われましたが、
なんだかんだで先輩も私の方がやりやすいとのことで、
結局ハロウィンが廃刊になるまで7年間務めさせていただけました。
巡り合わせがよかったんですね。
そしてその間にもっと運命的なできごとがあったのです…(つづく)
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